JKが持つ悪魔的な魅力に我々が吸い寄せられるワケ

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こんにちは、キング・ブログ・スライムです。

 

私は少し前に大学を卒業したばかりの新社会人です。

最近、ふとあることに気付きました。

 

それは、少し前まで本当にどうでもよかったJKなるものが、可愛いと思えるようになってきたこと。

何だこれは。

これまでずっと、JKが可愛いとわめいている同期や男子は正直気持ち悪いと思い、半ば軽蔑に近い感情を抱いていましたが、今度は、彼らと似た感情が自分の中に生まれてきました。

それはそういうものだと自分の感情を事実として受け止めようと努力する一方、自分に対する嫌悪感も少しあります。

何だこれは。

 

多分、JKに対する憧れに近い感覚は、大半の男子が抱いていると思います。

スマホを片手にイヤホンで大音量の音楽を聴いている若者から、サイズが合ってないだぼだぼの小汚いスーツを着たオッサンまで、皆多かれ少なかれ女子高生という概念に対してこんな感覚は持っているはずです。

みんな変態なのだと思います。(※違うという人がいたらすみません)

 

さて、ではどうして男性は一般にJKに惹かれてしまうのか?

その理由を考えてみました。

 

若さは生物学的に魅力そのもの

 

やっぱり若さはそれ自体が魅力なんだと思います。

私自身、社会人になってから年上の女性(over 40歳)と交流する機会が増え、逆に年下の女の子(under 20)と話す機会は一気に減りました。

そういう状況に身を置くほど(比較しようと思っていなくても否応なく差を感じてしまうのだ)、やっぱり若くて可愛い女の子は魅力的なんだなあと実感するようになってきます。

別に年齢の進んだ女性を批判しているわけではないが、若くてカワイイ女の子は存在そのものが魅力なんだと思います。

 

特に15~18歳という年齢は、本格的に”女性”が始まりつつある期間であり、誰にも侵食されていないピュアな状態です。

エベレストの山頂にいち早く登山してフラッグを立てたくなるのと似た感覚で、やはりその誰にもけがされていない純粋さに惹かれてしまい、初めにフラッグ(想像に任せます)を立てたくなるのではないか。

男子なるもの、”初めて”を制覇したいのである(こちらも想像に任せます)。

 

因みに、女性の若さにシビアな視線が世間から向けられるのは(ネットでは30歳を超えるとおばさんと罵られるなど)、諸説あるものの、女性の生殖期間が男性より短いことに起因すると思われます。

女性の場合、40代には物理的に子供を産めない体になってしまいます。

一方男子の場合は、精子の質は低下するにしても、一般に50代までは子供を作ることは可能です。

 

だから仮に女性の賞味期限が20年、男性の賞味期限が30年で、魅力の総量が男女平等だとしたら、鮮度が命である若い女の人の方が誰よりも魅力的になるのです。

※説明を簡単にするために”賞味期限”という言葉を使いました。

性として価値がある時間が短い女性において、最も純粋で誰にも汚されていないスタート地点がJKであるなら、それを魅力的に感じるのは当然かもしれない。

 

高校生活という過去に恋をしている

 

人生とは不可逆なものです。

社会人になった私は、全力でグラウンドを走り回っていた高校生の私にも、マクドナルドのハッピーセットを堂々と注文していた幼稚園の頃にも、戻れません。

最近、そんな当たり前のことに気付きました。

 

人は過去に対して一抹の後悔や懐かしさを感じるもの。

誰もがうらやむキュートな彼女がいて充実した学生生活を送った人は、輝きが失われた今の社会人生活と過去を比べて、懐かしい気持ちや戻りたい気持ちになるかもしれません。

実際は取るに足りない高校生活であっても、周囲を男子に囲まれて育ったとしても、今になって思い返してみると、懐かしく感じるかもしれません。

どちらも、俗にいうノスタルジーです。

 

好きだった女の子に何も言えなかった後悔、夕焼けで真っ赤に染まった放課後の教室、部活終わりの誰もいない校舎でのデート…

十人十色ですが、高校ライフに対して何かしらの思い出や後悔、憧れ、懐かしさかそれに近い感情を誰もが抱いているはずです。

そしてそんな過去には二度と戻れません。

 

ここで重要なのは、実は目の前にいるJKに恋をしているわけではないこと。

女子高生を通じた先にある高校生活という過去にハートずっきゅんしているのです。

 

さて、制服マジックという言葉があります。

制服マジックとは、普段はそうでもない正直可愛くない女の子(要はブサイク)であっても、制服を身にまとうと、まるで美人であるかのように錯覚してしまう心霊現象のことです。

仮にその子が私服になって魔法が解けてイモ不細工な女の子が現れるとしたら、それはその女の子が好きになっているのではありません。

 

つまり、JK可愛いなあと思ってしまう男は、目の前の制服を着た女の子に恋をしているのではなく、その女の子を通じた先にある、美人な彼女との華やかな思い出やひょっとしたらもっと良くできたかもしれないやるせない高校生活に対する後悔、友達とのたわいもないやり取り、甘酸っぱい思い出、といった高校生活という不可逆な時間に憧れを抱き、その過去そのものに恋をしているのです。

 

禁忌とされるがゆえに余計…

 

人間、ダメと言われればその逆張りをしてみたくなるものです。

友達から「秘密だよ」だといって教えてもらった情報は、やっぱり誰かに言いたくなってしまいませんか?

 

一般的に、いい年をした成人男性が女子高生と付き合おう、関係を持とうとすれば、世間からは性犯罪者予備軍扱いされるはずです。

そこに仮に純然たる愛が存在しても、です。

 

成人男性×JKは社会的にみてもタブーであり、その境界を男性側から超えようとするものなら、社会的に抹殺されるでしょう。

だからこそなのです。両者の関係が禁忌とされているからこそ、その境界を越えてみたくなる人が出てくるのだと思います。

 

以上、久しぶりの無駄な記事でした。

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