東京と大阪――半額弁当に対する熱意の差はあるのか

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始めに

 

私は半額弁当に対して並々ならぬ熱意をもっている。別に恥ずかしいことではない。関西人だからである。理由になっていないが、理由になっている。関西人だからである。

 

目の前に3割引きの弁当がいる。それが半額弁当の進化を待つのが、私のささやかな楽しみである。コイキングがギャラドスに進化するよりも嬉しい。金魚がウナギになろうが、そんなことは3割引き弁当の進化に比べたら「屁」である。

そして、進化したらすぐに頂くのである。それを小バカにする人もいるであろうが、私はそれを気にしない。関西人だからである。

 

たまに7割引きという、世界をひっくるがえす様なツワモノの弁当がいる。革命には様々な条件が必要である。美しい虹は、太陽高度が低く、空気中の水分濃度が適度であるときにしか見えないのと同じで、7割引きのシールもめったにそのお姿をお見せにならない。

 

そのウルトラCが起きるのは、雨が降っていて今のペースだと売り切れないことが確実で、かつ閉店まで時間がわずかしかないときだけである。閉店時間が10時で、現在9時なのに作った弁当の半分以上がまだ残っているような場合だ。

要は、店側とすれば損覚悟で在庫を売り払いたい時しか、7割引きという伝家の宝刀は使わないわけである。

 

しかし、半額弁当に対する熱意を小バカにする人がいる。

トーキョーノヒトタチである。トーキョーノヒトタチは、「私たちは、半額の商品をハイエナの様に狙う愚民とは違う」「あほな関西人は腐りかけの弁当でも食ってろ」と考えているようで、一部の関西人を「せこい人」「バカな人間」と見下してるようだ。

 

まずここで断っておきたいのが、多くの東京に住んでいる方は、半額弁当を狙うハイエナを馬鹿にはしていないということである。善良な心を持ったマトモな人たちである。

しかし、東京にはたくさんの人間がいて、自分以外の貧しい人間を馬鹿にするトーキョーノヒトタチという人種も存在するわけだ。

 

 

私が東京に初めて来たとき

 

私が初めて東京に来たとき、身の回りの標準語を話す人は、全員がトーキョーノヒトタチだと勘違いしていた。

大阪のオバチャンみたいに、スーパーの店員が値札を貼るのを待ち切れず、「あんた、はよ貼って」「兄ちゃん、これも割引かいな?」などとは聞かないと思っていた。

 

東京に住んでいる人達が普通の人間だと気付いたのは、つい2年前のことである。

スーパーで店員さんが惣菜にひとつずつシールを貼っていて、その周囲に人だかりができていたのを発見した時である。小さい頃見慣れた光景が、そこにはあった。その時、「トーキョーノヒトタチ」が「東京の人達」に変わった。バケモノが、人間に変わったのである。

 

因みに、その時のスーパーの店員はトップアイドルさながらであった。

一瞬羨ましいと思ったが、その感情は直ぐに無くなった。お兄さんに群がっていたのは、大半がおじいちゃんやおばあちゃんだったからだ。全然羨ましくない。むしろ気の毒である。

 

東京の人たちも関西人と同様に、半額弁当に興味があったのだ。よく考えれば当然である。「安さ」は正義である。

スーパーマンであれ、ウルトラマンであれ、「安さ」という正義には勝てない。正義という薄っぺらい表面上のものより、「安さ」という実用的なものの方に、人々は惹かれるからだ。

 

人間は皆ほとんど同じなのかもしれない。出身は違えど、考えていることや好んでいることに大きな差はないと感じた。

まとまりがない文章であるが、これで終わりとする。

 

ではでは、、、

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