『優等生タイプ』の人間はなぜ成長できない?どうすれば成長できる?
今回は「優等生タイプ」の人が成長できない理由と、その対処法について、私の経験をもとに述べていこうと思います。
学生時代の私の後悔
個人的なことですが、学生時代―――といっても今は大学生ですので、正確には小中高時代ですが―――に「こうしていたらよかった」と後悔していることがあります。
私は他の日本人同様、周りの意見を気にするタイプで、思い切って自分の意見が言えませんでした。
自分の主張をすれば、必ず自分の意見と違う人がいるわけで、絶対にその人たちとぶつかります。当時の私は衝突を恐れ、何も言わない道を選びました。
これがいわゆる「優等生タイプ」の典型的な行動パターンです。
なお、「優等生タイプ」を考えるときは、あなたが優等生かどうかは関係ありません。勉強ができなかろうが、周りの意見を気にしすぎて、何もできなければ「優等生タイプ」です。
今この記事を読んでいる皆さんの中にも「私も同じだ」と感じる方がいるかもしれませんね。
また、自分では一丁前に意見を述べているつもりでも、客観的に後から自分の意見を見ると、非常に幼く見えてしまうことがあると思います。
その原因には論拠の組み立てが不十分であったり、しゃべるのに慣れていない、知識が不十分などいろいろ理由はあるでしょうが、多くの場合自分が予想しているより、遥かにカッコわるいことが多いです。
ちょうどこの記事が私以外の人間から見れば、子供の文章そのものでしかないのと同じように。
私には他の学生の幼稚さや不充分さが嫌というほど見えてしまったので、逆に自分が何か言うときは周囲の人から幼く見られるだろうと思い、主張できなくなってしまいました。
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私の高校の知り合いはフェイスブックで様変わりしていた
しかし、どれだけ幼稚であっても、自分の意見を主張し続けた人は必ずと言っていいほど伸びる。これは事実です。
私のフェイスブックの友達には、学生時代と様変わりした同期がいます。
私は彼と喋ったことはほとんどないですが、彼は高校時代はずいぶんやんちゃでした。先生の指示を全く聞かず、授業中に生活指導に呼び出される、、、といったことが1か月に数回ほどある、という感じです。
彼がいつから変化したのか私には見当がつきませんが、フェイスブックのコメントでは政治系の話が増え、実際に現地に出向いて現状をレポートしていました。
高校時代は真面目とは正反対の位置にいた彼が、突然として「意識高い系」に変わっていました。
彼の投稿を過去2年ほど見ていますが、始めの頃は見ているこっちが恥ずかしくなるくらい青臭い内容で、投稿の内容もそれ程洗練されていませんでした。
「日本と韓国は仲良くならないといけない!」みたいな感じですか。
その当時は、私も含めて多くの人は「青臭いなあ」とか「真面目な意見書いちゃって、、痛いなあ」と思っていたことでしょう。
正直なところ、私はそのように感じてしまいました。
しかし彼の素晴らしいところは、周りのネガティブな意見をなるべく気にしないようにして、自分の思っていることを思ったと通りに書いたことです。
ひょっとすると、周囲のそういった意見が耳に入らなかっただけかもしれませんが(笑)。
気にしないのか気にならなかったのかはともかくとして、彼は持論を遠慮なく主張し続けていました。
毎日のようにフェイスブックに意見を挙げていくうちに、考えが洗練されて表現が上達していくのが私にはわかりました。また、他の外国人などと意見をぶつけるようになっていました。
その結果、彼の政治的意見は質的に遥かに向上し、文体には以前にはないキレを感じました。
彼の成長の原因について言えることがあるとすれば、仮に青臭さがプンプンしても、それを気にせず毎日のようにフェイスブックに意見を投稿し続けていたことが大きな要因の一つでしょう。
恐らく普段の生活でも、少し恥ずかしいことがあっても恐れずに自分の意見を言う、そんな習慣があったのではないでしょうか。
この猫ちゃんの様に気にせずに行きましょう
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「優等生」ぶっていては、何も起こらない
上で述べたように、彼が成長したのは自分の意見を気にせずに言えたから。
もちろん元々頭が良かったなどの要因もあるでしょうが、彼にとっての人間的成長のエンジンは「周りを気にせず持論を展開できた」ことでしょう。
これはただの余談ですが、これから彼はマスコミ業界に進む予定で、大学四年生の今は卒業までの余った時間を好きなことに使っているみたいです(笑)。彼なら就職先でも自分の意見を曲げずに言えるでしょう。
一方、彼とは正反対のいわゆる「優等生」タイプの人は、他人と意見が対立するのを恐れて、結局何も行動できなかったりします。
それだけ周りの意見に気を配ることができることの裏返しですが、今回はこの能力や気配りがアダとなってしまいます。
親や先生などの監督者からすれば、学校や先生、親の言うことに従い、異論があってもあまり口に出さないタイプの学生の方が好ましいと思われがちです。しかし、それは結局何もできていないことになります。
他人から良い評価を得て、偏差値の良い学校にいくにはそうした生き方が戦略的に優れているのかもしれませんが、他人から評価を得ようとするがゆえに自分は何も行動できない、ではシャレになりません。
先ほど例を出した彼のように自分の意見をしっかり言える人には共通点があります。
それは価値基準が”自分”であることです。
「自分が楽しめているか?」「自分の言いたいことか?」など”自分”がしたいことをしています。
一方、「優等生タイプ」の人は周りがどう感じるかを意識するあまり、価値基準が”他者”になっています。
「他の人が楽しめているか?」
「私の意見に対して他の人はどう思うだろう?」
つまり、”自分”がどう感じるかよりも、他人がどう思うかを優先してしまうがゆえに、他の人の意見と対立することは出来なくなってしまいます。
その結果、自分の意見を言うことや自分のしたいことができず、行動できるチャンスが格段に減ってしまうのです。
「優等生タイプ」の人間は何をすればいいか?
日本人にはこの「優等生タイプ」が非常に多いと思います。しかしそれは私たちのせいではなく、「人目を気にしなさい」「他人と違っては恥ずかしい」と社会全体が教えてきたためです。
自分の意見を殺して、先生や親の意見に従順にしたがって弁償する。これまでは、こんなタイプの人間を育てようとしてきました。
「これまでは」と書きましたが、これからもそうでしょう。
日本は元々「他人との考えの相違には何も言わない文化」や「人目を気にする文化」が根付いていますから、教育自体を変えようとしても、そうそう変化させられるものではありません。
そんな教育を受け、そんな文化の中で育ってきた我々ですから、自分の意見を高らかに述べようと思っても、やっぱり他人の意見を気にしてしまうもの。
「優等生」タイプの人間が自分の意見を言えるようになるには、まず初めに「恥ずかしいのは当たり前だ」や「意見が対立するのは当然」ということを意識することだと思います。
自分の意見を主張すれば誰かとぶつかるし、誰かを不快にさせるかもしれないし、言葉足らずな部分が見つかって恥ずかしくなるもの。
それを踏まえたうえで、「他の人の意見とぶつかるのは仕方ない」「言葉足らずな場所があるのは当然」と割り切って意見を述べてみるといいかもしれません。
また「優等生タイプ」の人はその性格上、既に周囲の状況を把握できているので、全体の意見とバランスをとりながら持論を述べることができます。
なので「自分の意見がなかなか言えなくて、、、」と落ち込むのではなく、周りが見えるという「優等生タイプ」の最大の長所を活かしつつ、持論を述べてみてはどうでしょうか。
先ほどの私の同級生の様にどれだけ不十分であっても、意見をしっかり述べる人は成長することができます。
拙い自分の意見を書き綴るのも成長の一環だと考えましょう。
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ではでは、、、
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> これはただの余談ですが、これから彼はマスコミ業界に進む予定で、大学四年生の今は卒業までの余った時間を好きなことに使っているみたいです(笑)。彼なら就職先でも自分の意見を曲げずに言えるでしょう。
DS「さーて、キッチリ洗礼してDS(マスゴミ)様が求める『優等生』にしないとな…
よーし、日本人に迷惑をかける仕事をキッチリこなすことが出来るように頑張って調教するぞ(笑)」」