8件のフィードバック

  1. 真実 より:

    最早コメントを読まれていないのでしょう

    社会的(国家など)に考えると
    今まで生きてきた命(=金=投資)が無駄になるから自殺は駄目
    家族などから考えると、場合によりけりでしょうが上記の理由も「ゼロでは無い」
    当然、身内ならではの感情論が大きいでしょう
    一方、自殺を考えるに至る「対象」へ「攻撃」すべきだと考える人も居ますが…

    ただ、平たく言えば「自殺を考える個人が、それまでに『投資された』ものが今も、これからもどうでも良くなった場合は仕方ない」
    という事かと思います
    モラル、倫理…そんなものがどうでも良いと考える連中は自殺しません
    そういう立場に追い込まれる事もありません
    人間という生物として「現時点で淘汰されるべき個体だから」、自殺するのです
    日本に限らず、世界に目を向けて見ると至る所で自殺すら許されず虐殺されています
    そして、それを世界的に「本気で大々的に」止めてはいません
    人間含めた命への答えなんて、そんなものですよ

  2. 名無し より:

    通りすがり者です。論点は変わりますが、私は自殺肯定派です。なのでそもそも「自殺をしたらダメなのは何故?」という問いに対しても「ダメじゃないし、別にいいんじゃない?」と返すと思います。なんなら自殺を肯定することで楽に生きられる、なんてこともあると考えています。それに特に根拠もなく「自殺はダメ!」とか自殺否定論が蔓延する世の中って生き辛くないですか?(笑)家族ならともかく、他人に言われても大きなお世話で何も響かないですしね。
    もっと気楽に「最悪死ねばいいや」くらいの価値観が認められる、「自殺も肯定できる」ような懐のでかい世の中になればいいな〜と思います。

  3. ななし より:

    素晴らしい記事で心から納得できた気がします。
    一般的に自殺はイケナイとされますが、個人の勝手の範疇に
    なぜ第三者が介入するのかずっと考えていました。
    別に自殺したいわけではありませんが、生きる権利があるなら
    死ぬ権利はなぜないのか疑問だったのです。
    宗教的な『騙し』なんぞにまったく興味がなく
    (死後なぞ誰にとっても不可知ですから)、
    合理的な説明と自分自身の心の納得をネット上に捜していたのです。
    一番得心できたのは「社会の損失」ですかね。
    赤子時代から税金を投入され、将来の納税者として社会が育て上げた者を、
    勝手に死なれちゃ大損だからですよね。
    つまり自殺は大きなエゴイズム的行動なわけで、
    自分だけで育ったわけでもないのに、社会に対し、
    いろんな意味で大した貢献もなしに死んでどうする!
    ということなのでしょう。
    (もちろん障害者や病人は除外です。)
    ですが、高齢になってなんら社会貢献もできなくなり、
    病身で介護も必要になった老人ならどうだろうか。
    医療費や年金に多額の税が使われ、
    逆に生きてることが社会の損失になりえなくはないだろうか。
    老境に入り、自由もきかなくなったら自殺する権利があってもいいような。
    もちろん医療や介護の充実で、長生きしたくばそれも自由ですが、
    なんですか、一定年齢に達したら、自由意思で
    安楽死が希望できる制度を日本でも導入してくれないかなあと思っています。
    若いうちの自殺はエゴだけど、老人の自死決定には個人の権利を尊重するとか。
    最近日本人女性で難病からスイスで安楽死した人のことを知りましたが、
    彼女の場合は‘それでも自殺’扱いで、‘自殺はイケナイこと’になるのかなあ。
    解釈は千差万別だと思いますが。
    人の生死の問題は難しいですね。
    いずれにしても、最終判断や解釈は、自らの心に問い、委ねられる事柄になるのでしょう。

  4. しましま より:

    数年前に目にしたフレーズ “早く死ねるといいね” で死生観がガンガン揺らされた。
    自殺よくないの一辺倒では癒さない傷があるし、死にたい奴の脳みそには届かないって思った。
    死にたいていう結論だけにこだわってちゃバカで、傷の問題だよな。
    でも確かに、自分の大切な人には、死んでほしくないって伝えるね。共感共感。

  5. 北村 より:

    自殺はお金の価値でも国家の損得でも近親者の悲しみでもありません。
    心が死んでしまったから肉体が滅ぶのです。死とは必ず肉体的理由で死ぬわけではありません。
    死者におかしな理屈を付けないで下さい。凄く悲しいことですが、必死で頑張ってそれでも行きつづけられなかったんです。私は必死で生きて死んでいった彼が誇りです。

    • king-blog-slime より:

      初めまして。
      もしお気持ちを傷つけてしまったとしたら、申し訳ありません。

      記事の内容はあくまで個人の意見です。
      また、当記事は自殺を肯定しているわけではありません。

      肉体が限界に達して生命が維持できなくなる死もあれば、精神が先に持たなくなる死もあると思います。大半の事例は前者なのですが、安楽死した学者の方や何らかの苦悩で自殺を選ばざるを得なかった方は、ひょっとすると後者なのかもしれません。

  6. 名無しさん より:

    『自殺をしてはいけない理由』をずっと考えてますが、未だに納得する答えが浮かばないですね。
    私自身、自殺願望があるので合理的な理由をもって自分を説得したいと思ってますが、残念です。

    個人的には自殺を肯定するのが一番良いと思いますね。
    それで安楽死を合法化させて、死にたい人は死ぬ・生きたい人は生きる。
    これからAIが進化して人間の労働がいらなくなった時、私たちは死を選ぶ権利を得れることを期待してます。
    それによって、ようやく”生という牢獄”から解放されるのかなと考えました。

    • king-blog-slime より:

      初めまして。

      自殺をしてはいけない理由は合理的に考えるほど説明がつかないと思います。
      私がこの記事を書いたのは、実は、自殺を擁護するためではありません。一般に自殺がダメだとされるのは、「周囲が悲しむから」「明日生きるのに困っている人もいるのに贅沢だ」といった他人視点の指摘がされますが、どれも本質的な理由にはなりえません。
      自分の命をどのように扱うかは、その人にあるべきだと考えるからです(自己決定権)。

      ただ、自殺がだめだといえる理由はないと考え、自分の生についてゼロベースで考える方が、自分にとって本当に自殺がダメな理由(どうして今生きているのか)が見つかりやすいのではないでしょうか。

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